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夏の秋野くん

新人マンガ家の秋野ひろくんが、こんなノートを書いてくれた。↓
https://note.akinohiro.com/n/n20fc0ac5b0f3

内容は、秋野くんが、僕の過去作ケシゴムライフのファンで、僕の夏の展示を楽しみにしてくれていること。彼にとっては単なるイベントでなくてそれを見る自分の状態や関わり方で、自分の立ち位置の変化を知るものになっていること、などが書かれていて、こういう気持ちを文章に書いてくれたのがとても嬉しかったので、その返信を僕もノートに書いておこうと思う。

秋野くんは19歳の新人マンガ家である。秋野くんと会ったのは、彼がノートにも書いてあるように去年僕の展示にするーっと入ってきたときが初めてだったが、実は彼の存在はツイッターで知っていた。

彼は以前「ウィリアム後藤田」というアカウント名で、ときおりケシゴムライフや僕のことについてつぶやいており、エゴサーチをするたび出てくる「ウィリアム後藤田」とはどんな人だろうと気になっていたのだ。

だから、初対面で彼が「僕がウィリアム後藤田です…」と言ったときはとても驚いた。まさかこんな、ポケットにゲームボーイ(古い)を入れて自転車でどこまでも出掛けていきそうな高校生とは思いもしなかった。ツイッターでみる彼の文体は大人びていて、どこか達観しているというか、ふてぶてしいというか、僕はてっきり自分と同じか少し上くらいの人を勝手にイメージしていた。

彼は目をキラキラ、というかギラギラさせながら僕がサインをしているところをみていた。それは、そのときたまたま売れている本を描いたマンガ家というフィルターのない、ほんとうにケシゴムライフを大切に読んでくれていたんだということが伝わる目でとても嬉しかったのを覚えている。

「僕もなにか、物語をつくりたいとおもってます」

「そうなんだ。お互い頑張ろう」


その次に会ったとき、それは半年後くらいで、彼はコルクに来ていて、佐渡島さんと打ち合わせをしていた。このネームは面白い!ということで、その場に僕も呼ばれ、そのネームを読んだ。

そのマンガの中にある静寂と達観、諦観は、やはり僕がかつてエゴサーチをするときに触れていた「ウィリアム後藤田」のそれだった。

僕は不思議な気持ちになった。マンガも面白いが、その外で起きている物語も同時に感じて、それが面白い。僕もそうだったように、なんの手がかりもないところから、物語を届けるすべを掴み取ろうとする、その過程をぼくは何の因果か目撃しようとしている。しかもその彼のストーリーには、僕のマンガも役割のあるアイテムとなっている。

そんなわけで、僕は秋野ひろくんのマンガを人一倍楽しく、同時に悔しく、思いながら読んでいる。彼が一つの物語を描き切った時、たくさんの人がそれを驚きを持って読むことになるだろう。そして同時に彼のマンガ家物語を知っていると、それはさらに面白くなるのかもしれないと思いながら、このノートを書いている。

ちなみに僕はケシゴムライフの感想をつぶやいてくれる人なんて殆どいないにもかかわらず、「ウィリアム後藤田」のことはフォローしていなかった。

フォローしたとたん、僕の作品について、遠慮したものいいになったら嫌だなと思ってだったが、いま考えると彼はそんな忖度はしそうにない若者だ。

正直で、いつも心の中の本音を探している。だから彼のマンガは、まだまだ絵は拙いが、安心して読みはじめることができる。


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